地元の友人の結婚式
シェアプレイスでの出来事ではありませんが、今回は「地元」にまつわるお話を。
先日、中学時代の友人の結婚式がありました。
わたしがエディターに応募したのは、家族や地域との関わりが薄いために、自分の中で置き去りになってしまっていた「ふるさと」をもう一度とらえ直すため。
例外なく、中学の友だちともかなり疎遠になってしまっていて、ハタチになったときは成人式に出席するのも躊躇うくらいでした。笑
学生時代は仲がよかったはずなのに、ケンカをしてそのまま連絡を取らなくなってしまった子たちも居たなあ。若い。
こうした経緯があり、「幼なじみ」や「地元メンバー」という響きに憧れがあったし、家族のような近い距離でお互いを大切にし合う関係性を羨ましく感じていました。
「結婚式たのしみだけど、いったい誰が来るのかな、、」
「人見知りせずにちゃんと会話できるだろうか」
せっかく呼んでもらえたのに、ひとりでの参加だったので心細くなってしまい(笑)式の前はこんな風に考えていました。
でも、いざ蓋をあけてみるとびっくり。
卒業ぶりに会ったみんなと、同窓会のように盛り上がって、灰色がかっていた当時の記憶がカラフルに塗り替えられていく。
顔なじみのご家族に温かく迎えられて、ほっとした気持ちになる。
ああ、自分が勝手に“悲しい思い出”にしていただけで、本当はそんなことなかったのかもしれないな。
「ふるさと」というものに守られて、育まれてきた時期がちゃんとあったんだ。
みんな思春期真っただ中で不器用だったけど、きらきらした眩しい時間を一緒に過ごしてきたんだ。
シェアプレイスに入居して、地元と向き合う時間が増えたおかげか、こうした事実を素直に受け止められるようになりました。
「すみれ、昔から食べ物の好き嫌い多かったよね?料理食べられそう?」
「◯◯小学校の人たちってみんな変わってたよね(笑)」
「そういえばうちの親がさあ〜」
地元の友だちだからこそ知っている自分の一面や、盛り上がれる話題がある。
みんなの前だと何も飾らず、格好つけず、ありのままで居ることができる。
なんか、こういう空気感っていいなあ。
大人になると、人目を気にして自分をよく見せようとしたり、仕事で承認を得るために必死になったりするけど
人間がほんとうに求めてるのって、そんな作りもののような「肩書き」や「立場」じゃなくて
地元に帰ってきたときのような、ほっとする「居場所」感なんじゃないかなあ。
結婚式が終わったあと、参列していた友だちと一緒に駅から家まで歩いて帰ったことが印象的でした。
地元の人と調布を歩くって、いったい何年ぶりだったんだろう。
止まってしまっていた時計の針が、また少しだけ動いたような気がしました。
改めて、結婚おめでとう。
晴れ姿を見せてもらうことができてほんとうにうれしかったです。末長くお幸せに!